今井俊満

先月半ばよりメールを頂いて交渉しておりましたが、昨日買取で話がまとまり作品をお預かり致しました。

画像はイメージです。

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作品は今井俊満氏です。

国内でも有名ですが、ヨーロッパでの人気、知名度が群を抜いております。私は花鳥風月の時代が好きかもですが・・・・・・

今井俊満 プロフィールです。

1928年 5月6日、京都・嵐山渡月橋畔の父の別荘で、二男として生まれる。

1932年 骨董書画好きの父の影響で、この頃より絵をよく描き、卒園記念に幼稚園職員 室に橘大隊長を描いた大きな布衝立をつくる。

1937年 アサヒ・コドモ・アテネで絵画と唱歌を学ぶ。唱歌は音痴に近いが絵画は水彩を描き二科会員の黒田重太郎に才能を認められ、アサヒ・コドモ・アテネの機関紙に作品が掲載された。

1944年 兄の影響でこの1年、哲学と文学に情熱を燃やし読書三昧の生活を送る。

1947年 この年秋突然絵を描き始め、石膏デッサンを安達卯生の研究所で始める。第一作油絵「武蔵高校集会所」30号を大潮展学生部に出品、入選。

1948年 1月、旺玄会第1回展に2枚の静物を出品、入選。10月、「第12回新制作派協会展」に「道」25号入選。この頃、金箔による金文字の講習を受ける。

1952年 4月、東京・日本橋白木屋新設画廊にて第1回個展。

1955年 3月制作の「馬」を契機に具象から抽象へ、この頃より、金箔、銀箔を素材として使用を始める。大原美術館に200号の「馬」買い上げとなる。

1957年 2月、パリ、スタドラー画廊での第1回の個展。アンフォルメルの牙城。この画廊での個展の成功によって、国際画家としての地位を得る。

1960年 国立ローマ近代美術館に2×3m「フロレゾン」買い上げ。

1962年 東京国立近代美術館、神奈川県立近代美術館、大原美術館が100号の作品を各1点買い上げ。

1967年 この頃より、ヤング・ファッションに興味を持ち、東レの非常勤ファッション顧問として日本のサブ・カルチュアをリードする。

1971年 10月、名古屋松坂屋10階レストラン「キャンティ」に「生々流転」2×23mの壁画を制作。

1983年 4月、フランス文化省が「冬の波」・「波」1982年作を買い上げ。12月、フランス文化相ジャック・ラングより芸術文化勲章オフィシエを受賞

1985年 6月、成田空港ホテル「東急イン」の1階ロビー「紅葉賀」及び「深山流水 図」「龍田川」の3点が壁画として買い上げられる。

10月、帝国ホテル、インペリアル・スウィート・ルームに「秋の野」が壁画として買い上げられる。

1989年 1月、浦和国際交流基金日本語国際センターの壁画「四季図」を制作、横浜高 島屋で「今井俊満展」開催。他、各地での個展をはじめ精力的活動が続く。

2002年3月3日午後4時15分、膀胱がんのため東京都中央区の国立がんセンター中央病院で死去した。享年73。

最後は癌を公表されて、そして創作活動に励まれてました。

自分の人生の終わりが決まったら、どう生きるのか?

今井先生は本当に素敵でした。

こうありたいと思わせて頂きました。

 


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