本日は籔内佐斗司氏のSNSより・・・・・・・・・・
和の知恵
奈良県立美術館館長 籔内佐斗司
東京藝大に勤務していたとき、中国からの留学生に質問したことがあります。 「日本語を勉強していて、なにがいちばん難しい?」。
すると彼の答えは、「カタカナ語!」という意外なものでした。
その理由は、まず「ハ行に点々を付けたら、なぜバ行になるのかがわからない。」とのこと。たしかに発音するときの口唇や舌の動きを考えたら、マ行に濁点を付けてb行にし、ナ行に濁点を付けてd行にした方が理に適っているかもしれません。
そして彼がいうには、「ザ行では、zかthのどれを表現しているかがわからない。
ラ行が、rかlかの区別もつけられない。促音である小さな『ッ』の付き方や、長音記号の『ー』が難しい」等々。
改めて指摘されると、もっともだと思うことばかり。
そもそも促音を表す小さな「ッ・っ」が学校教育で公式に統一されたのは、現代仮名遣いが交付された1946年以降という新しいもので、むかし私の母からもらった手紙には、旧仮名遣いとともに、大きな「つ」が使われていたのを思い出します。
そして極めつけは、「カタカナ語を声に出しても、元になった外来語がわからない」との意見。
たとえば、小学生でも知っている「リズム」という言葉の英語表記は、ふだんから英語に親しんでいる人か、音楽関係者でなければ「rhythm」とすぐには思い出さないでしょう。
また、「エステティック」から「Esthetic」の綴りを連想するのも至難のことです。
中国語で「MacDonald’s」を「麦当労」と表記しますが、発音は英語に大変近くなるのとは対照的です。
このように、たいへん曖昧なカタカナ表記ですが、海外からのあたらしい概念が洪水のように流入している昨今では、私たちのまわりは意味不明のカタカナ語の大氾濫です。
大学の会議に出席していた頃、会議資料に「アカデミックカレンダー」と書いてあってびっくりしました。
なぜ「学事歴」という立派な日本語があるのに、わざわざ言い換える必要があるのかなと不思議でなりませんでした。
また議題に「テニュアトラック」という言葉が出てきたときには「なんじゃこりゃ?」と思いました。
「博士号を取得していながら非常勤職員をしている若手研究者に対する公正な終身雇用(tenure)の仕組み」だそうです。
また学生や若手研究者の起業支援をインキュベーションと言います。これは卵を孵化させるという意味の「incubate」という英語からきたことばだそうですが、原語を知らないとなかなか連想できないことばです。
そのほかにも、アジェンダ、アセスメント、パラダイムシフト、プロコトル、スキーム、ノンバイナリーなどなど、いったいどこの国の会議だろうと呆れてしまいました。
誤解しないでいただきたいのですが、私は外来語や外国文化を拒否しようなどと言っているのではありません。
この20年ほど、わが国は、政治・経済・先端技術・産業などのあらゆる面で革新が後手に回り、外来語や新しい概念を取り入れないと、何も語れないのは悲しい事実です。
でも、それならせめて英語くらいは、カタカナ語ではなく原語表記をしようと提案しているのです。
そして、じっくりと原語の概念を咀嚼して、新しく美しい日本語を生み出す努力をすべきだと思います。
極東の列島国であったわが国は、二千年以上、外来の文化や言語と格闘しつつ、大変な努力をして自家薬籠中のものにし、自らの文化へと消化してきたのですから。
その結果、欧米圏以外で自国の言語だけで高等教育が行える希有な国でもあったのですが、昨今のGlobalの時代に、先人のそうした努力をガラパゴス化と否定的に考える人が多いのは残念なことです。
『万葉集』では、額田王の歌を、漢字を用いて以下のように表記しました。
「茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流」
そして、それをやまと言葉で「茜さす紫野(むらさきの)行(ゆ)き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君の袖振る」とみごとに読み下しました。そのお陰で、現代の私たちは、飛鳥時代のひとびとの恋ごころを、漢文ではなく当時の生きた言葉を通じて、わがことのように知ることができるのです。
もうひとつの日本語の特性として、ひとつの漢字に、複数の読み方をすることがあげられます。
たとえば「西」という漢字には「にし」という訓読みのほかに、「さい」と「せい」という二種類の音読みがあります。
「さい」は、中国の揚子江の南の「呉」の地方の発音が飛鳥時代から奈良時代にかけて仏教と一緒にもたらされて定着した呉音(ごおん)です。
したがって、関西、西大寺、西塔、西国、西行法師、西方浄土のように、南都の仏教に関するものの多くが「さい」と発音します。
一方、「せい」は、平安時代になって空海などの遣唐使がもたらした思想や政治経済分野の言葉を中心に、黄河流域の長安付近の発音「漢音」がもとになりました。
たとえば、洛西、東夷西戎、西夏、浄土宗西山派、西洋、西岸、西軍、西高東低など。
関西の法律学校として出発した関西大学は、「かんさいだいがく」。
一方、キリスト教系の「関西学院大学」「西南学院大学」が、仏教臭を嫌って「せい」と発音させたのは、日本文化の多重性を考える好例です。
明治維新以来、欧米の言語と学問を導入する際、政治・経済や学問、藝術などの各分野の夥しい数の絶妙な和製漢語を生み出しました。
そして、それらは日本で学んだ留学生を通じて東アジア全域に普及しました。現代の中国や台湾、韓国で、日本発のこの和製漢語を用いなければ、日常会話も学問も成り立たないと聞きます。
カタカナ語大好きの小池都知事ですが、コロナ騒動の折にも、聞きかじりの怪しげなカタカナ語を連発して、大いに混乱を助長しましたが、彼女には先人の爪の垢でも差し上げたい気分になります。
数万年前から日本列島には人が住んでいましたが、大陸や朝鮮半島などから人々がさまざまな文化を携えて波状的に移住してきました。
人が絶えず流入したのではなく、周辺地域で政変や戦争が起こるたびに、人々の動きがありました。
先住民は、彼らを排除するのではなく、多くの場合、好意的に受け容れ、共存を選びました。
そして、以前からある生活習慣や文化を維持しながら、新しい人たちの文化をも取り入れてきたために、複数の文化様式を多層的に形成することになりました。
これがわが国の国家理念である「和の文化」を形成し、あまり自己主張しないで周りの人に合わせるという国民性を生み出してきたのでしょう。
自分より以前からいる人に敬意を払うとともに、自分より後から来る人たちを思い遣る気持ちに代表される日本人の美意識「和」の知恵を、今こそ見直したいものです。
*内容は籔内佐斗司氏よりお借りしました。
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